日記

最新7回分

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2005年6月2日(木) あらしのけいほう

先日ある方と電話をしておりました。
「今年は大丈夫みたいだね(^_^)」
言われてしまったので、ここに明記しておきます。

表には出さないようになりましたが、今年の嵐はここ数年で一番荒れてます(ここ強調)。覚悟の上でやってください。
相手が病気でふせってるときでなければ、そのまま受信拒否をするところでした。
今回は相方がなり初めに先手を打って、かーなーりー気を抜けたことをやってくれたので、眼の前に誰かがいるときにそういうことをしないで済むかなと思っておりますが。

以上、前置き(トリセツともいう)終わり。

先日とうとう社長命令(それも社長室呼び出し)かかりました…。
「いい整体の先生を紹介するから、いって来いっ!!」
と、言うわけで一週間毎に通っているんですが、自分の記憶力のなさにとことんあきれ果ててます。
……まさか、腰のむちうち(一ヶ月ほど動けなくてバイトやめたことあり)をきれーさっぱり忘れているとは……
知り合いの交通事故の話をしてて、思い出したといいましたら、えらく怒られました…その他いろいろ悪さをしてることがばれまして、更に怒られています。

明日はおこられないといいなぁ……


パラディッソ
ラテン系の名前でしたっけ?
上に上がる天を賛美したのか?
地上にある楽園を夢見て喜んだのか?
いつか作り上げる楽園を共に見ようと伝えたのか?

いろいろな風景を見せてくれますな。
一つの音、一つの言葉でも。

2005年5月21日(土) 一人だけかもしれないが

その集団を知るに当たって、目の前に一人しかいないのならば、その一人の立ち振る舞いを見てその背後にある団体を判断する。
その団体の象徴と考えて大体間違いはないだろう。

ただの人であろうとも、未知の人ならば、判断するにはそれしかない。
非常に危険なことであるだろうけれども。

だから、自分は誰かに忠告(あるいは喧嘩を売るとも言うときもあるだろうが(苦笑))する場合、「話し合いというのは、相手を認めてするのだから、相手を見下した言動や、振る舞いをするべきではない」ということを話します。
特に相手がこちらを貶めているときに、同じように貶めては、「自分はこのような人間ですよ」と自分を低く相手に見て貰う様にいっていると同義だと思っているからです。

さて、前書きが長くなったのですが、今回少々憤慨しておりまして。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050521-00000414-yom-int
まずはここ、リンクははっていないので、コピーして読んでいただければ。

あなた方には犯罪者なのかもしれないですがね。
まだ判決は出ていないのですよ?

ついでに言うと、人間としてもどうかと思うのですよ。
…まさか、撮った人間、載せた人間双方とも、「自分のこういう姿が載ったらかっこいい!」と思っているのなら、この話全体が成り立ちませんが(苦笑)

人を人だと思わずに、何かの所有物か戦利品だと思っているんでしょうか?
随分、以前の戦の世のように。
ついでに言うと、一つの国はそういう戦は体験して無いと思うのですがね?

亜米利加人の方、英吉利人の方がすべてはそうでない人が大多数でしょう。
ただ。こういうことができるということは、そういう風に考えていると判断されても仕方ないでしょうね。
この件はきっちり後始末まで調査してください。そうしないと国としての威厳と尊敬を失いますから。
そうする国の人には、そうしてやったほうがいいんだと思う人々が出てきますからね。

…ため息。

2005年5月20日(金) 最近独り言が多くて

書くことをできるだけ控えてるから、アウトプットを自動的にしているのだと思えば、当然だと思うのだけれど…

無意識のうちに考えたことを口に出しているから、意外に変なことを言っていることに気がついたりする。

ああ、そろそろ貴女の命日じゃなかったでしたっけ…
お元気ですか?

…ここまで、自分にしては珍しくにこやかに言ってしまった。
……なんかおかしいよな。
しばしもう一度口にしたりなんかして、考えてみたり。

…お元気ですかはないだろう。お元気ですかは…

……どうも、あっちでも笑われたような気がします…(ため息)
独り言は一人のときに。

あ、そうだそうだ。忘れてた。
あなた方の大切なお人はまだ連れて行かないでくださいね。
多分毎日泣いて暮らしているのだとは思うのだけれど。
いかれたら、こちらが困ります。

2005年5月1日(日) 先日のイベントで

お会いしたかったお方と、はじめてお会いした。
実はお会いできるはずというのは知っていたのだけれど、何故かご挨拶できないような気がしていたのだ。こちらからは。
そのようなことは、当日朝の机においてあった文と一箱の煙草でぶっ飛んでしまいましたが(苦笑)その時点でかなり動揺(苦笑)

お聞きしたいこと、お話したいこと、いろいろあったはず…
何より、お顔をぜひ拝見しようと思っていたのだ。

しかし、自分では何故だかまったくわからないのだけれど、お顔を拝見しようとした途端なぜか胸元のペンダントに視線が行く。
ああ、これだと失礼だなぁとおもって、もう一回視線を戻すがまたペンダントを見つめている。

理由はまったくわからない。わからないから、失礼をやらかした説明もお詫びもできない。
しかし、なにかの意味があったはず。
そのお方には何の意図もなかったのかもしれない。けれどもあの瞬間その意図を読み取ろうとして必死になっていたようである。

すべてのことには、そのものを象徴する意図がある。
それを無意識にこだわる自分。

…どういうことであるのだろうか?

……重ね重ね失礼をいたしました(平伏っ)
…相手がマリアだったら確実にはったおされて………(平謝)
ああああ。お詫びのしようが……本当に申し訳ありません………

ご縁があった皆様に感謝を。もう一つのBlogにももう少しかいています。

2005年1月29日(土) 本当にその解釈であっているのか?

中原の資料を集めまくる癖は、お会いした方はご存知だと思います。一つの事柄を作品ができてから調べなおしたりしているのを、見ている方にはあきれられましたが(苦笑)

資料というのは、作った人の思いが入ります。歴史というのは残った人の視点から見ています。そして制度というのは、使う人によっていいように使われます。国の制度すら。
これが中原の前提です。
例えば露西亜。自分はマリアの父親を[流刑に処されて死の床にいても、なお皇帝に忠誠を誓い続ける]人間として書いています。あくまでその周りにいる重臣が悪なのだと。

学校の教育で、すべてを知った気になるのは誤りです。
己の感性だけで、判断しようとすると誤ります。
先生の言うことが、すべて正しいとは限りません。自分が師と仰ぐ人が、本当にすべてを見通しているのかは保証はできません。
頼りになりますが、頼りきりにはできません。

日々勉強ですねぇ…
やっぱり大正時代〜昭和初期の軍事と司法の資料が手元に欲しい…(苦笑)

2005年1月25日(火) 変なことばっかりおぼえてるんだわ

人の顔と名前を覚えない割に、誰かが書いた文章とか何気に話した一言を覚えている自分。
やっぱり誰かというのは覚えてないので、もう一回調べなおして確認したり。

「そういや、捨ててこいといわれた風邪捨ててきました?」
「いやーまだ」
「そこに手ごろなダンボールありますから、それ持っていって雷門のまえにいけば誰か拾ってくれますよ。あぁ、ちゃんと拾ってくださいって紙に書いて貼っておいてくださいね」
……心温まる上司と部下の会話(お互い資料検討中)


そういや、この上司の名前覚えるの一緒に組んでから数ヶ月たってからだなぁ…(遠い眼)
先輩は全部「先輩」、仕事場の一番上は「隊長」…よく仕事になってるなぁ(更にと負い目)
ネットの友人は書いてある文章を思い出しながら、名前を覚えたような気が…(脱兎)

もう一つの日誌、そのうち統合しますけどhttp://ryousei.seesaa.net/
ここにてぼーっとかいとります。

2005年1月23日(日) 送りびと

一緒に逝こうよ
大丈夫 君の大切な愛している人の元に届けてあげるから

だからその人に渡すまでのひと時だけ
僕をその手につなげてほしい


おっかしいな…まだそんな時期じゃないのに。
「人間」に絶望して「人」に憧れて 早く己を手放すことを望んだ君達は
幸せなんだろうか?誰かの手を欲しがって嘆いていないだろうか?

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