(無題)
 カチッ
   小さな音を立てて、ライターが明かりの消えた街をマリアの前に映し出す。
   その炎に被さるように顔を近づけて、口元にくわえていた煙草に火を付けた。
   ゆっくり息を吸い、そして吐き出す。
   視界が一瞬だけ白く染まった。
   肺には入れていない。
   煙草を吸うことが必要なのではなく、燃え尽きるまでの時間がどうしても必要だったのだ。
「長かったわね、今日は」
   今日は、朝から忘れられない一日だった。
   起き抜けにトランジスタのラジオから流れたのは、軍による武装蜂起のニュース。
 クーデター。その言葉に、忘れたくても忘れられない事を思い出す。
   自分の過去を思い出しながら、落ち着かない時間を過ごしていると、高い音が雪の帝都の静寂を破った。
   直感的に目的を察すると、頭の中にたたき込まれているマニュアルに従い立てこもれる場所、作戦司令室へ誘導する。
 大神がそこに現れないのは、解っていた。
   彼には、もっと重大な任務があったから。
 部屋から必要なものをまとめていた袋を持って出るときに、一度だけ大神の気配を感じたくて、部屋の前に立つ。
  「隊長。こちらは、貴方が来られるまで持ちこたえますから…」
   最後の台詞を声に出す代わりに、一回だけドアに頭を付けた。
   迷いを振り切るように頭を振ると、そのまま振り返らずに、階段の方に駆けだした。
 それから後のことは、良く覚えていない。
   ただ覚えているのは、兵士達の狂気のような叫び声と、彼らに向けられたエンフィールドのいつまでも止まらない震え。
   なのに、どんどん冷静な判断をしていく自分の姿だった。
 隊長がいないと、自分は冷静でいられる。
   隊長がいないと、自分は狂気に逃げることもできない。
 少し短くなった煙草から立ち上る紫煙を見つめながら、そんな考えが止まらない。
   隊長は、今頃さくらの部屋だろうか?それとも支配人室だろうか?
「隊長…」
  「はい」
   思わず口に出たつぶやきに、返事が返ってくる。
   マリアがうつむいていた顔を勢い良く上げると、目の前には手に持たれた灰皿が一つ。
   少し後ろを向くと、少し心配そうな大神の顔。
「隊長?」
  「こぼれるよ?」
   手にある煙草の長さを見て、慌てて灰皿を受け取る。
   大神を煩わせてしまったことに申し訳なくなって、上目遣いにゆっくりと大神を見ると、手にはなにやら綺麗な袋を持っていて、大きめのコートを腕に掛けていた。
  「疲れてるんだろうから、こんな寒いところでと言いたいところだけど…つき合ってくれないかい?」
   そう言って、袋の中からとりだしたのは、スキットルとショットグラス。
   マリアが小さく頷いてグラスを受け取ると、大神は嬉しそうにそのグラスにスキットルの中身を注ぐ。
   そして自分の方のグラスを手すりに置いて注ぐと、上着の内ポケットにしまい込んだ。
「マリア、一本貰える?」
   その光景を見ながら、マリアの口にくわえなおされた煙草を見て、声を掛ける。
   慣れた手つきで、マリアはコートから煙草を一本取り出すと、大神はそれをグラスの中の液体に少し浸した。
  「昔、先輩に教えて貰ってね…火、わけて貰うよ」
   そう言いながら、マリアの顎に手を添えて、自分の方を向かせて火を盗む。
   瞬間、大きくなった火で照らされたマリアの顔が、心持ち赤くなっている。
   大神もそのことには気が付いたが、それは問わない。どちらかというとマリアがここにいる理由の方が気になったからだ。
「みんなはどうでした?」
   ちょっと上の空の質問。マリアは、大神から視線を逸らすように銀座の町並みの方を向いていた。
   きっと、昔の自分は、あの兵士と同じ様な事をしていたんだろう。
   家族とか、大切な人がいるはずの人たちに銃を向ける。
   昔だったら、ためらわずに引き金を引いていた自分が、今では別人のように感じていた。
「…やっと寝たよ。クーデターは終わったから、今日は安心できると思うよ」
   自分の想いにふけったマリアの背中に、大神がきちんと報告をしてくれる。
   マリアはそれを聞かないと、安心してくれないのが解っているからだ。
  「それと…」
  「それと?」
   いつも聞く台詞に続く言葉に、マリアは顔を背けたまま聞き耳を立てる。
  「クーデター参加者の方だけど、重傷者六。軽傷者十だそうだよ。いずれも命には別状はないってさ」
   一番気にしていた事を言われて、はっと振り返る。
   振り返ったところを抱き寄せられて、肩に大神一人だけでは余っているコートを掛けられた。
  「マリアが的確に数名の動きを止めてくれたから、それ以降は牽制だけになってたと自白していたそうだよ」
「そう、ですか…」
   ほっとしたのか寒さが軽くなったのか、マリアの声から先ほどまでの堅さが消えている。
   そんな変化を察したのか、空になってしまったグラスにアルコールを勧める。
  「もう今日は遅いから、もう一杯だけ飲んで休んだ方がいい」
   名残惜しそうにマリアの髪に手をさしのべた大神に、珍しくマリアが首を横に振る。
  「マリア…?」
  「出来れば…ご迷惑でなければ、もう少しだけ」
   大神が注意しなければ聞き逃してしまいそうな小さな声で、マリアが甘えてきた。
   まだ少し冷たい手は、大神の上着をためらいがちにつかんでいる。
 滅多に見られないその光景に、大神は少し笑うとマリアのもう一つの手にある煙草を外し、灰皿の方へ自分の煙草と一緒に消した。
   マリアはその光景をぼうっと眺めていたが、大神の顔が近づいてくる気配に、静かに顔を上げて目を閉じた。 
- END-
 ■今となっての戯言
  懐かしいですね。
  このときのテーマは「立場の違い」というのがあったように感じています。
  この当時は大神とマリアが幸せであればいいというのが大半で、さくらをほっぽいて大神が駆けつけるというのが多かったように記憶しています。
  役割の違い、立場の違い。
  近くに立てそうで、近いからこそ踏み入れられない二人のちょっとだけ交差する時間。
  それを表現したかったんですが、まぁ少々甘くなってしまったのは…ご愛嬌ということで。 
■当時のコメントは以下の通り
  無題
   天王さまの作品[紫煙]を拝見して、出来た作品。中原初めてのサクラSSになります。
   個人的に読んでいただこうと、強引にお贈りしたものですが、天王さんのご好意で掲載していただいたものです。
   NYで煙草も覚えてるだろうなとか思っているのですが、身体のことに気をつけている彼女だから、考え事をするときに煙を眺めているだけという感覚で書いていたのを覚えています。
   中原と言えば、煙の香りよりも煙草自体の香りの方が好きです。
   ちなみに、大神がやった吸い方は、ずいぶん前に知り合いに教えて貰ったもの。ただどちらの方に浸したかは忘れてしまいました(苦笑)
   今あえてタイトルを付けるとしたら…[bourne(古語で限界・目的地・到達点)]でしょうか。 
1999.3.24発表